一年ぶり

前回書き込みから約一年経過。
十五日は父の三回目の命日になる。

ここ一年で色々ありました。
職種が変わり営業職になった。
まだなったばかりなので全然!

今まで休みが火曜だったが、法人向け営業なので日曜休みになった。
営業になったのになんかいい感じ!

まあ、少し頑張ってみるか。

喪中

クリスマスは無し。

昨日は年越しそばを作ったが、独りだといまいち。

伊達巻と栗きんとんを買ってはある。

屠蘇も一応作ってみた。

今月は親父の命日だが休みを取るのを忘れた。

ドンキでR&BのMIX−DVDを買ってきたので

今日は楽しみだ!

明日仕事。

その後3連休。

母の死後、メモ帳の去年の元旦に「今年こそ良い年でありますように!」と

書いてあったのを見つけて悲しかった。

今年は良い年でありますように!

今度は母逝く

昨年1月に父が他界。亡くなった瞬間から弔いの始まり。
病院に長くはおいてくれないのですぐ葬儀社の手配をしなくてはならない。
神教なので10日祭、うちは墓が無かったので慌てて用意し100日祭で納骨。
その後1年祭と新盆と大変だった。
別居の弟も居たが、当家として母と二人三脚でなんとかこなしてきた。

今年は猛暑で家に居る母はきつかっただろう。
そんな母が9月になり少し経ったら食欲が無くなり、さらに食べると吐き気も。
近所の医院に時々通って血液検査や血圧など診察を受けていたので安心していた。
が、もう点滴で栄養を補給しないとならない感じに。
エコーと血液検査の結果で肝硬変の疑いが有るといういう事で日赤を紹介された。
とにかく人が多く、紹介と言えども医者に会うまで時間がかかる。
広いので疲れ、車いすを使用することに。自分も初めて操作するものだ。
CTを取り点滴を打ってその日は帰宅。
今までは無かったが腰が痛いらしい。食事はやはり取れない。
翌々日結果をうかがいに行く。入院した方がよいとの事。
そのつもりで用意はしてきたのでたいして驚きはしなかった。

母に内緒で先生から私に話があるとの事。なんか嫌な感じだ。
先生から「転移したガンで肝臓が95%やられている。今年いっぱいもつかどうか。」
と宣告されてしまった。直腸のガンが元らしい。
まるでドラマを観ているかの様な展開で、ショックだし、信じられなかった。
今年いっぱいと言うとたった2か月しかないとか、
母は退院して家に帰れないんだと思ったら先生と婦長さんが居たが泣いてしまった。
もう何も施し様の無い状態らしい。
また、心肺停止の時の延命措置について決めて欲しいと言われた。
人工呼吸器を使うか、心臓マッサージをするしないとか。
弟と自然の流れにまかせる事にしようと決めた。延命しても苦しさを続ける事になるから。

会社帰りに病院へ寄り洗濯物を交換し、少し話をして、帰宅。
この生活が長く続くときつくなる。いっそ休職でもしようか?なんて考えた。
しかし、収入が無くなると生活が出来ないのでそれも困るなと。
母は日に日に衰えていった。立ち上がるのも難しくなっていった。
入院し7日目の朝、会社に着いた時に病院から連絡が入り、もう危ないとの事。
何分で来れるのかと聞かれ30分と答えてすぐ向かった。
病室へ着いた時に母は息絶える寸前で、手を握って「おかあさん」と声を掛けたら目を動かして
反応が有った。弟もくるからとさらに声を掛けたがゆっくりと息を引き取った。
看護師さんが医師を呼びに行き死亡を確認した。
ああ、ついに亡くなってしまった。私は泣いてしまった。
しかし、またカウントダウンの始まりだ。葬儀社の手配をしなくては。
いつまでもここには居れないのだ。
看護師さんに遺体の着替え等をしていただいた。
少し経ち弟夫婦も到着した。臨終に会えなかったのは残念だった。



今は葬儀も終わり、神教の50日祭を執り行うプランニング中。

年末までの2か月どころか、入院から7日で急逝してしまった。
直腸のガンは予兆が無かったみたいだ。地元の医院にも通っていたのに。
1年2年の期間で発症していただろうとの事。
父の亡くなった頃に発症していたのかも知れない。
発見時には転移しての末期の末期。
亡くなる直前までほとんど痛みが無かったのがせめてもの救いだ。

父も母も我々子供に長期間の入院や介護をさせずに逝ったのは親心なのだろう。
私も苦労をせずに済んだのは感謝しなくてならない。
シングルなので孫の顔を見せてやれなかったのは心残り。
旅行や美味し物を食べに行ったり出来なかったのも心残り。
母は、家計のやりくりでかなり苦労した。
またずっと家事をしてもらっていたので心苦しい。
はっきり言って働きづめだったなぁ。
私は母の為にもっと苦労しても良かったのかも知れない。

父が亡くなって涙もろくなったが、今度母が亡くなってさらに涙もろくなった気がする。

家には父母の家財道具が沢山残っていて、少しづつ整理していかなくてはならない。
そうしないと引っ越しすら出来ない。困った。

毎日仕事が忙しく、それにより気が紛れるという事もある。
いきなり一人暮らしの家事は大変だ。時間が無く、睡眠不足気味。
会社辞めて、なんかゆっくり過ごしたいのだがそうもいかない。
一人旅とかもしたいなんて思うが。
ハワイをゆっくり旅したいとか。
残念ながら母の保険金も少なくて、葬儀代の不足分やら借金やらで残らない。

親孝行したい時には親は居ずってホントだ。

なんか寂しい。

当たり前だよな。

友達ほとんど居ないし。

親戚は皆高齢で話にならないし。

なんとか仕事を続けていくしかないなぁ。

宝くじが当たる事を夢みて生活するか。



お母さん、今まで苦労が多かったけど、これからは親父と一緒に楽しく暮らして下さい。
駄目な息子でごめんなさい。

泣けた曲

多和田えみ」のファンになったきっかけは、秋にTV「世界不思議発見」のエンディングソング『時の空』ででした。
私好みの曲ですぐさま検索し、なんとか判りました。

その後CDやらDVD付きアルバムやら全て買いました。その中で、沖縄でのフェスにて『時の空』のMCで、大事な人との死別を含めた分かれや、輪廻転生みたいな事を語っていました。

昨年父の他界で傷心の心にしみて涙が溢れました。DVDで見たPVも光に向かって上昇する感じで魂が天国へ行く様にも想像出来ました。なんか自分の魂を揺さぶられました。
最近大事な人と別れた方にはなんか癒しになるのではと思います。

f/bさんにも一度聞いてみてもらいたいなぁ!

良い事ないかなぁ

父親が無くなり1年1ヶ月程経過。この生活にも慣れた。
仕事もほとんど変らない。
自分もほとんど変らずよく1年過ごせたものだ。
歳は取ったが。
高額な保険金や資産が有った訳ではないので生活も変らない。

何か良い事ないかなぁ。
相変わらず宝くじは当たらない。

少しづつ春が近づいている。
気分は少し明るくなるかなぁ。

子孫を残さないととは思うが…。


f/bさん元気ですかぁ?
お互い頑張りましょう!

特には

先日16年前に仲の良かった子が亡くなった。(元カノと呼べるのかな)

結婚し旦那も居たのだが。

俺は通夜や告別式には行かなかった。

知り合いに合うと嫌だったから。

まあ、彼女もわかってくれるだろう。

あと数十年もしたらあの世で会うだろうからね。



どうも未だに1月に亡くなった親父の事を考える。

ああしておけば良かったとか、俺がちゃんとしていれば良かったとか

孫の顔を見せてやりたかったとか。中々忘れられん。

当時、涙を我慢したせいか、泣き足りない感じで、どこかで思いっきり

泣けばよかった。そのせいか、最近涙もろいのだ。

親父はポックリ逝くのが家族の為だと思っていただろうが、少し予定が

早く来てしまい残念だっただろう。

あの世で会おう。




f・bさんは、死期が来るまで長生きしなくてはいけませんよ。